大野裕明写真館


 昨年の今日(2022年1月5日)、2019年3月まで、演出助手として花組芝居に所属しておりました、大野裕明君が脳出血の為に急逝しました。様々な事情により、一周忌での御報告になった事をお詫び致します。退座後は、曾祖父様の代から受け継がれている「平和工業株式会社(小児用の木製玩具を販売)」の、将来の四代目として国の内外を飛び回り、何もかもがこれから!という時でしたから、御本人が一番悔しい思いをしていると思います。
 彼との出会いは、1999年9月、清水港開港100周年記念公演として、第二回シアター・オリンピックス実行委員会がプロデュースした、『忠臣蔵(脚本=平田オリザ、演出=宮城聰)』で共演したのが最初です。市民100人が参加する大掛かりな野外劇で、私は「大石内蔵助」を勤め、彼はその市民の一人でした。当時まだ東海大学の学生で、後に劇団を作り活動をしていましたが、卒業後は東京に出て演劇をしたい、ついては花組芝居で演出の勉強をしたい、というので、私の側らで芝居作りを見聞し、2003年から正式に「演出助手」となりました。
『忠臣蔵』確か、打ち上げの時の写真です。
 古典の専門用語が飛び交う現場、最初の頃は彼も相当苦労していましたが、我慢強く経験を積んで行き、外部でも「演出助手」として引っ張りダコになりました。「花組芝居で勤まれば、他の現場は大概大丈夫ですよ」彼の口癖でした。仕事も的確な上、私が要求しなくても、先回りしてあらゆる準備をしてくれる、そして何より、あの人懐っこさで誰とも親しくなり、色々な情報、裏事情さえ拾って来る天才でした。
 一方、2007年から「おおのの♪」という企画を立ち上げ、脚本と演出を担当し、2019年の最終公演まで16回を数えました。
 そんな掛け替えのない片腕が、高齢なお父様を思い、今から継ぐ努力しなければ機会を逸する、と一大決心をし、演劇のキャリアを捨て、平和工業株式会社に跡取りとして入社しました。勝山康晴氏(コンドルズ)と組んだ静岡での企画に、脚本を書き下ろす仕事だけは続けていました。2021年11月28日、仕事で東京に来たついでに『シャンソマニアII』を見てくれて、作品の事、静岡の脚本の事、そして会社の事など、話したのが最後となってしまいました。
『シャンソマニアII』楽屋での別れ際の写真です。
ネクタイスーツ姿も随分様になっていました。
 大野、一年ほったらかしちゃって本当にゴメンな。やっと俺の中でも区切りを付ける事が出来たよ。そして、芝居にも会社にも、遮二無二突っ走って来た頭も体も、ゆっくり休ませな。有難う!有難う。ありがとう…。
(座長/加納幸和)

「おおのの♪」上演歴

2007/8 ハナオフ ザ・漱石
2008/11 おおのの♪1 『世界の中心で、朔太郎をさけぶ』
2009/7 おおのの♪2(おおのの音楽朗読劇1) 『太宰治のオンナの小説』
2010/1 おおのの♪3 『走れダザイ』
2010/3 おおのの♪4 『巨匠溝口健二』
2010/8 おおのの音楽朗読劇2 『怪談八雲噺』
2011/2 ハナオフ(おおのの♪5) 六人のへそ曲り』〜明治文豪青春賊〜
2011/4 おおのの音楽朗読劇3 『それぞれのヘアサロン』
2011/8 平塚らいてう「青鞜」創刊百周年記念公演(おおのの♪6) 『東京モダンガールズ』
2011/8 おおのの特別企画 『清里寄席』
2012/8〜9 おおのの♪萩原朔太郎70周年追悼ツアー(おおのの♪7) 『交響曲月に吠える』
2013/6 おおのの♪8 『みすゞちゃん(合唱)』
2013/12 おおのの♪9 『シラノ!』
2016/4 おおのの♪再始動 『さよなら、先生』
2017/5 おおのの♪ 『先生と赤い金魚』
2019/3 おおのの♪最後の公演 『ザ・漱石 再演ニ非ズ』
         
         

スナップ写真集 <座員みんなの携帯に居たお〜にょ編>

スナップ写真集 <花組芝居のパソコンに居たお〜にょ編>

デザイナーの梅本さんに描いていただいた似顔絵♪

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