優雅なる混沌(ごちゃまぜ)・花組芝居の新たな創作ラインの始動を目撃せよ!
「堀越涼が、とんでもない戯曲を書いてくれちゃいましたので」。
花組芝居座長・加納幸和は、カーテンコールの客席に深々と優雅な一礼の後、そんな言葉で劇団の次回公演を予告した。2024年6月、『レッド・コメディ-赤姫祀り-』の時のことだ。今、〝とんでもない〟作品を観終えたばかりの観客に、そのとんでもない作品の中核を担う俳優・演出家である加納が言うところの〝とんでもなさ〟は、凡夫の想像力が及ぶものではない。おとなしく次回公演を待つべし、と決め込んでいたところ取材のお話しをいただき稽古場へと馳せ参じた。
花組芝居の新たなシリーズ「pêle-mêle(ペルメル)」とは、フランス語で「ごちゃまぜ、雑多な集まり」を意味するとのこと。歌舞伎をベースに新劇からアングラまで、よきもの・おもしろきものは何でも取り込む、欲張りな花組芝居にピッタリのネーミングだ。
そんな花組芝居で15年間、加納や諸先輩のもとで学び、在籍中から自身のユニット・あやめ十八番を立ち上げ、独立後も歌舞伎や落語など種々の古典を翻案したオリジナリティの高い創作が評価されている堀越。師匠譲りの欲張りが書き下ろした〝とんでもない戯曲〟は現代劇で、ジャンルとしては「パニックもの」と言えばいいだろうか。2028年の九州・長崎県を舞台に、実際に農業などに甚大な被害を与えるバッタの大量発生と、〝神との契約〟でバッタを操る能力を代々受け継ぐ斑(まだら)一族の、いわば伝奇物語なのだ。
開幕まで10日ほどとなった佳境の稽古場。当たっていたのは戯曲のクライマックス部分で、場面の詳細はネタバレになるため伏せさせていただきたい。
今作には、俳優で薩摩琵琶奏者でもある吉野悠我が参戦。弦をかき鳴らして激しいシーンを盛り上げたかと思えば、余韻たっぷりの嫋々(じょうじょう)たる響きでドラマの奥行きを深めるなど、目の前の稽古に合わせた演奏は10人目の出演者とも言うべき活躍ぶり。また作品の終景も、吉野の演奏と謡が哀切な響きで彩る。
また、加納お墨付きの実力派・間瀬英正、熊野善啓、長橋遼也(リリパットアーミーⅡ)三俳優が客演し、バッタを研究する昆虫学者(間瀬)、長崎地元テレビ局のディレクター(熊野)、斑家が経営する食品会社社員・雨海(あまみ)(長橋)と、それぞれ作品の要となる役を演じる。
加納は今回出演せず、演出家に専念。だが演出をつけるその所作に、つい目を奪われてしまう。踊りの場面で俳優たちに振りを伝えるため身振り手振りで示す、端折った仕草にすら感じられる粋、あるいはSEや録音された台詞の音声、そのボリュームや入り・切りのタイミングを、卵を持つように柔らかい弧を描いた手でオペレーターに知らせる、その手つきのエレガントさと言ったら!(スミマセン、明らかに筆者の趣味・志向の暴走です)。
負けじと花組俳優陣も、横溝正史や江戸川乱歩ワールドもかくや、というアヤしげなオーラをまといつつ、作品世界を跋扈(ばっこ)する。舞台となる長崎県出身の原川浩明は方言指導としても活躍。 個人的には桂 憲一演じる斑家の使用人・寛羽(ひろばね)が、20年後は天本英世(是非しらべてみて下さい)の域に入るのでは、という期待値含めツボだった。
もちろん、間瀬演じる車博士のマニア垂涎の理系男子っぷり、熊野演じる御門ディレクターの狂気、長橋演じる雨海の強力な自虐内向キャラもそれぞれに味わい深い。
そして、タイトルにもあるバッタ、長崎ご当地の祭礼で祀られる神獣など、人間以外も活躍し、特にバッタの表現は花組得意の小道具・仮面が大活躍。個人的には『鹿鳴館』(22年)の猿面に迫る、画期的アイテムとして推したい。
新味の要素に得意技を絡めつつ、劇団創作を新たな領域へと押し広げる花組pêle-mêle。その第一歩の目撃者となる好機を、どうぞ逃がしませんように!
Text:尾上そら